沖縄の米軍普天間基地の辺野古移設に関する住民投票が行われた。
 結果は、投票率52%、そのうち「反対」が7割超(共同通信)となっている。
 だが、政府は投票がどっちに転んでも、建設工事を進める方針のようだ。

 沖縄への基地負担や、政府の沖縄への姿勢は、すでに様々な人が論じてきたことだ。
 ここでは、政治家としてどうあるべきかという理想像に焦点を当てていきたい。


『政治家は、ただ単純に、大多数の幸福を目指していいのだろうか?
政治家が目指すべきは、「最大」多数の最大幸福ではなのか?沖縄県民も幸せにする努力をするべきだ。
建設は続行せざるをえないかもしれないが、なんらかの改善策がとれないか検討してみるべきではないだろうか』

 政治家には理想があるだろう。こういう政策で、国を良くしたい。こんな政策で、世界を良くしたい。(無い政治家もいるかもしれないが。)
 では、すべての政治家に共通する普遍的な目標とは何だろうか?

 一概には言えないが、「幸福」ではないだろうか?
 所得倍増も、戦後レジームからの脱却も、国民の幸福をその人なりに考えた結果ではないだろうか?
(もしかしたら、国家が第一の全体主義的政治家もいるかもしれないが、それも結局集団としての国民の幸福を考えた末たどりついた思想かもしれない。)

 もっと言えば、「最大多数の最大幸福」ではないだろうか?
 こういうと誤解されるかもしれないが、最大多数の最大幸福を目指すのは大事なことだ。ただし、「最大多数」が前提である。
 私一人だけが最大幸福を得て、後の1億人が不幸で、最大多数の最大幸福と言えようはずもない。
 最大多数の最大幸福でより重要なのは、「最大多数」であり、少数者の「最大幸福」では断じてない。

 沖縄に基地を押し付けていれば、確かにそれ以外の人々は幸せだ。(そして、政治家の大部分が「それ以外の人々」だ。)だが、政治家たる者、沖縄県民も幸せにできる道を考えなければならないだろう。

 ここで、解決策の一つとして考えられるのが、「対話」だ。
 「幸福」というのは奇妙なもので、その人の気の持ち方次第で如何様にも変化する。同じ結果でも、プロセスによって、感じる幸福の度合いは変わるわけだ。
 真っ向から、「どんな投票結果でも、建設方針は変わらない」と跳ねのけるのではなく、「双方で一緒に、よりよい解決策を目指す」のが、人々を納得させ、"幸福"な決断を下す良い手段であろう。
 結局、結果が辺野古移設となってしまっても、その過程が強行建設であるか、対話の末の妥協案であるかで、世論は大きく変わるだろう。


 安倍首相には、ぜひ最大多数の最大幸福、願わくば、全員の最大幸福を目指して頂きたいところである。


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